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文化財

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蔚山コククジラ回遊海面

蔚山コククジラ懐柔海面

蔚山コククジラ回遊海面は、捕鯨事業で絶滅の危機に瀕しているコククジラが子供を産むために移動する経路に含まれる。現在、蔚山コククジラ回遊海面が属する西部の北太平洋と北大西洋のコククジラは絶滅危惧種となっており、東部の北太平洋のコククジラは保護と監視活動により絶滅の危機から逃れている。 コククジラは国際的に保護対象である絶滅危惧種であり、したがって蔚山付近の東海岸を中心に、近くの回遊海面は天然記念物に指定されている。

  • 指定別 | 天然記念物第126号
  • 所在地 | 東海岸蔚山沿海

城岩洞貝塚

城岩洞貝塚

貝塚とは、海岸または川辺に住んでいた先史時代の人々が捨てた貝殻がたまって墓のようになった遺跡のことをいう。貝殻の石灰質が中に入っている土器、石器、動物の骨などを保護する役割を果たすため、考古学的に貴重な研究資料となる。 同貝塚は外煌江と海が合流する場所にある。遺跡の東南には、城岩洞貝塚と同一時期のものである蔚山細竹遺跡があり、北東には朝鮮時代の水軍万戸鎮城の開雲浦城址がある。遺跡は潮の干満の差で海岸から押し寄せてきたシルト質の細かい土と丘陵から沈食して堆積した岩盤の土質や小石が、交互に堆積している。

  • 指定別 | 蔚山広域市・市指定記念物第25号
  • 所在地 | 蔚山広域市 南区 城岩洞 451-4 一帯

開雲浦城址

開雲浦城址

1997年10月9日、蔚山広域市記念物第6号に指定された。新羅時代から倭寇を防御するための戦略的要地であった。朝鮮前期に設置された水軍万戸の陣営が世祖の時、慶尚左道の水軍節度使の陣営に変わり、宣祖の時に東莱へと移るまでの130年間、倭寇防御において重要な軍事基地となった。朝鮮後期には戦船を造る「船所」があった。戦船は朝鮮後期において、水軍の主な軍用船で最も規模の大きい軍船である。 現存する城跡は朝鮮前期に築いたもので、面積21,899㎡・外周4,227尺という大規模の城であった。外堀の痕跡、北門と東門の形が残っている。城壁の築造方法は朝鮮前期の特徴を如実に現している。とくに、城跡の基壇の上に大きな石を積む独特な建築方法は、城を研究する上で重要な学術的資料の価値を有する。

  • 指定別 | 蔚山広域市・市指定記念物第6号
  • 所在地 | 蔚山広域市 南区 城岩洞 423 一帯

二休亭

李休亭

鶴城・李氏の亭子である。1662年(顕宗3)、李東英(イ・ドンヨン)が建てた二美亭を、1666年に改称したものである。 現在の建物は本来、蔚山都護府の客館・鶴城館の南門楼であったが、1940年に撤去されたので、李氏門中が新亭洞へと移した際に入母屋造りの木造家屋に改築した。

  • 指定別 | 蔚山広域市・市指定文化財資料第1号
  • 所在地 | 蔚山広域市 南区 二休亭キル 20

鶴城・李天機一家墓出土服飾

鶴城李天機一家墓出土服飾

鶴城・李天機一家墓出土服飾は、李天機(イ・チョンギ、1610~1666)とその夫人の興麗・朴氏の墓、そして李天機の三男である李之英(イ・ジヨン)とその夫人の平海・黄氏の夫婦合葬墓から、1969年に出土した遺物である。

  • 指定別 | 重要民俗文化財第37号
  • 所在地 | 蔚山広域市 南区 斗旺路 277(蔚山博物館)

処容岩

処容巌

1997年10月9日に蔚山広域市記念物第4号に指定された。蔚山広域市・南区・黄城洞に位置する。新羅・憲康王が開雲浦に遊びに来て休んでいた時、いきなり雲霧がひどくなって一寸先も見えなくなってしまった。その時、「日官」は、海の龍の仕業なので何か良いことをしてなだめなければならないと話した。王は直ちに龍のための寺院を近くに建てるよう、命令した。 それが蔚州郡・青良面にある望海寺である。すると、雲霧は直ちに消え、太陽が昇った。これが地名の開雲浦の由来である。その時、東海の竜王が非常に喜び、七人の王子を従えて海上で舞を舞ったという。その7人の息子の1人である処容を、王は慶州に連れ帰った。彼は美しい女性を妻として迎え、「級干」という官職に就き、国政に携わった。処容が海から上った場所の岩を、処容岩という。

  • 指定別 | 蔚山広域市・市指定記念物第4号
  • 所在地 | 蔚山広域市 南区 黄城洞 668-1

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